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2010/09/05 04:09:42
約1年ぶりの劇団四季のミュージカル観劇です。
誰もが知っているあの名作です。
子どもたちがとってもいい味を出していますよ。
ただ、映画の中のマリアは若い修道女なんですが、ミュージカルではおばさんだったので私のイメージとはちょっと違ってました。
そして、2女、3女、4女はオーストリア人風のカツラを被っているのに、5女だけカツラを被ってないから黒髪、しかも明らかに日本人顔なので、あらら?って感じでした。
でも、十分に楽しめるミュージカルです。
ここで勝手に劇団四季ランキング!
人によって好みは違うでしょうが、個人的なお気に入りの順番です。
①オペラ座の怪人
②キャッツ
③美女と野獣
④マンマ・ミーア!
⑤サウンド・オブ・ミュージック
⑥ウェストサイド物語
⑦ライオンキング
⑧ソング&ダンス 55ステップス
「ライオンキングが低すぎる!」って言われそうですね。
お付き合いなどで2回も観に行ったのですが、疲れていたのか2回とも途中で寝てしまったんですよ。
2010/09/02 10:09:55
最近の若いイタリア人女性はレッテリーネ、ヴェリーネと呼ばれるショーガールになりたがる子が多い。どういう職業の人達かというと、夕方位からはじまるクイズ番組やお笑い番組に登場し、肌を露出した衣装を着てメインゲストや司会者の横に立ち、笑顔を振り撒いたり、テーブルの上でセクシーダンスをする人達である。
ハンカチくらいの大きさの布でつくった衣装を身に付けたこのヴェリーネ達は、最近では若い女性から美の象徴と注目され、流行の最先端をいく女性として持て囃されている。この子達は、若い男性に限らず、若い女性、年配の女性の間でもかなり人気がある。
この子達はテレビの公開番組で選考される。ミスイタリアの選考会に似ていて、美しさのほかに歌や踊りの評価も加わるが、歌に関していえば風呂の中で歌う“鼻歌”のレベルだし、踊りは“ディスコダンス”程度のものだ。
視聴者は何が楽しくてこういう番組を観るのだろうか?これ以上短くならない程短いスカートをはき、テレビカメラが向けられるや否や、満面に笑顔を浮かべウィンクをする女の子達を見て何が楽しいのか?
私はといえば、こんな女の子達を見るたびに胃がムカムカするので、胃薬を一錠飲まなければならない。こういう子達のほとんどは、有名な舞台芸術家の名前すら知らない。できることといえば、ウィンクし、お尻を振りながら踊ることぐらいだ。声だって全く響かないし、演技も踊りもズブの素人同然なのに。
しかしながら、私の彼はこの女の子達の動きを細部に到るまで注目し、テレビに釘付けになる。よって私は二錠目の胃薬を飲む。
私は週に一度胃薬を2箱買う。薬局の売り上げを伸ばそうと躍起になっている薬剤師は、私の来訪を今か今かと待っている。生計を立てるのも楽ではない。
作:ソニア 訳:喜代美(BUONO ITALIAに投稿した本人の記事より抜粋)
2010/09/01 03:09:17
路線バスは、スカートがきもちいい。
あまり期待していなかった恋人岬は行ったらびっくり。ビーチのエメラルドとは違う純ブルーを一望できました。
とにかく現地の人が面白かったのと海がきれいだった、これにつきます。
2010/08/31 04:08:19
ギリシャの中で一番行きたかった場所・メテオラです☆
メテオラの修道院は、ビザンチン時代後期およびトルコ時代に
迫害を受けたキリスト教修道僧たちが作った聖域。
不毛の人を寄せつけない高さ400mもの岩山に、ビザンチン芸術の中心を築き上げたのだそうです。
15世紀から16世紀にかけて最盛期には24あった修道院も、
今では5つの修道院にしか人が住んでいません。
今でも人が住んでるだけすごいと思いますが・・・
宗教的にかなり神聖な場所ということで女性は
体のラインの出る洋服は×
ズボンは禁止でした。
私は事前に知っていたのでそのような格好で行きましたが
修道院の入り口でズボンをはいている女性には長い
巻きスカートをレンタルしてました。
断崖絶壁でヒヤヒヤもしましたが自然が作り出した
岩山の奇形な風景と人類の意地のような修道院の景色が印象深いです。
2010/08/28 08:08:35
<2006年12月15日(金)>
この日の予定です。6時45分にモーニングコール、荷物出しが7時30分、ホテル出発が8時30分でした。モーニングコールの時には、出発準備を終えていました。プラハでの2泊を終えて、今日はオーストリアのウィーンへの移動です。その途中で、世界遺産のチェスキー・クロムロフに立ち寄る計画となっていました。
昨晩の夕食の集合時間に間に合わず、皆さんにご迷惑をおかけしましたので、朝食のレストラン等で、それぞれにお詫びをしておきました。
<ウィーンへの移動>
今回のツアーは、チェコのプラハからオーストリア、スロバキアから最後のハンガリーのブタペストまでバスで移動の旅でした。運転手はスロバキア人のアロイスさんです。長い道中、ずっと安全運転でした。
予定通り8時半にホテルを出発しましたが、朝の交通渋滞に遭いました。しかし、それも考えようで、プラハ市内の歴史建築をゆっくり眺めながらの移動となりました。プラハ駅や国立博物館の建物などです。窓ガラス越ですが、車が止まった時に、これらの建物の写真を撮ることができました。
市街地を過ぎると、渋滞はなくなりました。あっという間に郊外の景色に代わりました。プラハの飛行場を飛立った飛行機雲が、斜め一直線に伸びて、青空を切り裂いていました。良く見ますと、長い飛行機雲には、その軌跡の中に、距離を置いて複数の飛行機が飛んでいました。
<中世の町、チェスキー・クロムロフ>
手元のガイドブック(ポケットガイド、プラハ・ブタペスト・ウィーン:JTB)から、簡単にチェスキー・クロムロフを紹介しておきます。今回の旅行で、特に印象が残った中世を思わせる街でした。
チェスキー・クロムロフは、モルダウ川がS字に曲がる箇所に沿って造られた1キロほどの街です。8世紀から最初の定住が行われ、ボヘミアの歴代の大貴族によって統治されてきました。
街は手工業と商業によって発展し、それぞれの時代を反映した建物で、次第に街が形成されていきました。その建物の数は約300です。1992年に世界文化遺産に指定されました。
チェスキー・クロムロフへ到着したのは、昼に近い時間でしたが、緯度が高いため、眩しい光が低い位置から射し込んでいました。アーチ型の通路を持ったお城の屋根付きの回廊の下を潜ると、まさに別世界が飛び込んできました。
<洒落たレストランでの昼食>
中世を思わせる街の通路は、全て石畳でした。その石畳の道を歩いて、中心部の広場に出ました。そこには、いくつかの露店がお土産の品を売っていました。
石畳の道を歩きながら眺めるお城や、教会の尖塔を眺めるのも、随分と興趣が湧きました。町全体が観光地となっていて、世界遺産に指定されているような家並みでも、お土産店の店先になっていました。レストランや、カフェーなどもあり、時間さえ許せば、半日くらいはのんびりしてみたい雰囲気の街でした。
お昼の時間になっていましたので、石畳の道をさらに進んで、石橋を渡りました。モルダウ川のS字カーブの狭まった箇所に掘られた水路の上に架かった橋でした。
レストランは、石畳の道を過ぎて、川沿いに少しだけ歩いた場所にありました。窓から見る景色も素晴らしく、中々お洒落な造りのお店でした。魚料理でしたから、白ワインをグラスで注文しました。
<チェスキー・クロムロフ城>
チェスキー・クロムロフ城は、チェコ国内ではプラハ城に次ぐ規模を誇り、13世紀に創建されました。当時、ボヘミアで力が強かったヴィートコヴィッツ家の分家の居城として造られました。
その後、領主が代わる度に増改築が行われ、16世紀にロジェンベルク家がルネッサンス様式に、18世紀初頭には、エッゲンベルク家がバロック様式に、さらに18世紀後半にはシュヴァルツェンブルク家がロココ様式に模様替えをしています。現在見る姿は、それらの様式が複合した建築となっています。
石段を登り、さらに石畳の坂道を登ってお城の中に入ることが出来ます。そこから一望するチェスキー・クロムロフの街は、まさに映画で見る中世の街、そのものでした。
1784年に造られた「仮面大広間」は、ロココ様式の傑作とされますが、残念ながら、お城の部屋の中まで見学する時間はありませんでした。理由は分かりませんでしたが、お堀跡と思われる場所に熊が飼われていました。丸々と太っていましたが、冬眠前の脂肪を蓄えていたのではなく、単なる肥満のようでした。バナナやリンゴのような果物が、山ほど餌場に置いてありました。
<再び、ウィーンへ向けて出発>
教会と岡の上の城砦を早足で巡りましたので、少し慌しいチェスキー・クロムロフの見学となりました。見学を終えた後、再びウィーンへ向かって出発です。プラハからチェスキー・クロムロフまでは約180キロでしたが、今度はウィーンまで、約270キロの長旅です。
チェスキー・クロムロフはプラハのほぼ真南になり、チェコの南部に位置しています。暫く走ると国境に達しました。国境での写真撮影は禁止されていると、ガイドさんの注意がありました。それとなく、監視されているようです。もし見付かった場合は、カメラかフィルムの没収があるようです。建物の中は、こちらから見えないようにブラインドが下りていました。
しかし、実際の国境警備の雰囲気に、厳しいものは感じませんでした。専らトラックの荷物検査に力を注いでいるようでした。こちらのレーンは長い列がありました。
途中、2度ほどの休憩をとって、ウィーンまでひた走りでした。走っている内にサンセットとなり、やがて暗闇に包まれました。
<ホイリゲでの夕食>
ウィーンはオーストリアの中東部のドナウ川の南に位置しています。プラハからは、やや東に位置していますが、ほぼ真直ぐの南下となりました。日がすっかり暮れましたので、ホテルにチェックインする前に、夕食です。順調なバス移動でしたから、勿論、予定通りのコースです。
今晩はオーストリア風の居酒屋、ホイリゲで、民族音楽などを聴きながら夕食です。バイオリンとアコーデオンの軽妙な演奏と、ワインを楽しみました。今回旅行での夕食の中では、一番記憶に残りました。
ところで、ホイリゲは単なる居酒屋ではなく、自家製の葡萄酒が提供されるウィーンの居酒屋のことを呼んでいるようです。ガイドさんのお話では、修道院で造られたワインが提供されているようでした。
フリー百科事典の『ウィキペディア』から少し詳しく引用しておきます。
17世紀後半、トルコとの戦争でウィーン市内ではワインを入手しにくくなったため、人々がウィーン郊外の農家に自家製ワインを買い出しに行くようになったのが始まりとされます。
1784年、神聖ローマ帝国皇帝ヨーゼフ2世がウィーンの農家に販売許可を発令して以来、毎年11月11日に樽を開封し、向こう1年間、その年の新酒を販売するようになりました。ホイリゲとは、本来「今年の」新酒を指します。その後、自家製ワインと簡単な食事を提供する店の営業が許可されたのをきっかけに、自家製のワインと郷土料理を提供する居酒屋を、「ホイリゲ」と呼ぶようになりました。
食事の最中に演奏される小グループによる郷土音楽は、シュランメル音楽と呼ばれています。これは、19世紀半ばにウィーンで活躍していたシュランメル兄弟がホイリゲで演奏を始め、評判になったのが始まりといわれます。
<電車で外出、ホテルのバーでワイン>
ホテルへチェックインの後、直ぐに電車で外出しました。電車駅はホテルから歩いて10分以内の場所にありました。迷子にならないよ、駅の名前もデジカメに写しておきました。
切符の買い方も、ガイドさんからお聞きしていましたので、1ステップごとデジカメに収めました。こちらは写真編でご覧ください。表示画面を英語に切り替えることが出来ました。
電車は程なくやってきました。時間は22時を少し回ったところです。乗る前に、終電車も念のため調べておきました。最低料金の1.5ユーロで乗車できる、5つほど先の駅で降りました。
乗った時は高架電車でしたが、降りた駅は地下鉄になっていました。階段を登って駅前に出ましたが、街路灯が点いているだけで、寂しい感じでした。駅前では、立ち食いの小さな屋台が1軒あるだけでした。商店街の方は、シャッターが下りて、ショーウィンドウの明かりだけが点いていました。
居酒屋を探すのは諦めて、早々にホテルへ戻りました。1階にバーがありましたので、白ワインを飲んでこの日のお開きにしました。
チェスキー・クロムロフで
モルダウの流を南に遡り訪し街は今も中世
城砦に登り望みしモルダウはその懐に抱く街あり
昼なれど朝日の如く影長く片手翳して街眺めおり
ホイリゲでの夕食
ホイリゲは自家製ワイン酒場なり修道院で醸すその酒
耳元に演奏を聴くホイリゲの至福の時過ぐ地酒ワインで
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